この記事は、私たちクリエーターが陥る罠について書いています。
Substackでニュースレターを書いている私たちクリエイターやライターが、
記事を書く前から反応を見るまでの各段階で、
エゴがどう邪魔をするのか、
そして「伝えたい」という本来の衝動にどのように立ち返ることができるのか。
エゴから解放される道を示した記事です。
あなたはSubstackを開いて、新しい記事を書こうとしています。
その時点から、すでにあなたを邪魔するエゴが動き始めています。
「書く前」の、あの重い感覚
記事を書こうと思ったとき、何が起きますか?
最初は、何か伝えたいことがある。それだけのはずです。
でも、キーボードに手を置く直前、心の中で、こんな声が聞こえませんか?
「これは面白い記事になるだろうか」
「読者に響くだろうか」
「批判されないだろうか」
「自分の評判を落とさないだろうか」
その瞬間、あなたは「書く人」から「評価されることを恐れる人」に変わります。
エゴが、あなたの頭に座り込んだのです。
本当は、あなたは何かを伝えたかったのに。
気づかないうちに、「いい記事を書かなきゃ」という枷が付いた。
その枷は、あなたの指を止めます。
だから、あなたは書き始められない。あるいは、書き始めても、進まない。
「書いている時」の、あの違和感
ようやく書き始めたとしましょう。
でも、書きながら、あなたはこんなことをしていないでしょうか?
「この文体は、ウケるかな」と考えながら書く。
「この表現は、批判されないかな」と確認しながら書く。
「自分は十分に賢く見えるか」を気にしながら書く。
つまり、あなたは「何かを伝える」という本来の行為ではなく、
「自分をどう見せるか」という演技をしながら書いているのです。
そこに、あなたの本当の声はありません。
代わりにあるのは、「理想的な自分」という仮面です。
その仮面をかぶって書かれた記事は、どうしても無理が生じる。
読者は感じ取ります。
「何か、違う」と。
なぜなら、あなた自身が、その違和感を感じながら書いているから。
エゴは、あなたから「正直さ」を奪うのです。
「公開ボタンを押す前」の、あの恐怖
記事が完成しました。
でも、公開ボタンの前で、あなたは止まります。
「これを出したら、どんなふうに思われるだろう」
「万が一、馬鹿にされたら」
「誰も読んでくれなかったら」
その瞬間、記事はもう「あなたの考え」ではなく、
「あなたの評判を決める証拠」に変わります。
公開ボタンを押すことは、自分自身を世界に差し出すことに感じられる。
だから、怖い。
エゴが言うのです。
「公開するな。こんなのを出したら、自分がバカに見えるんじゃないか」と。
多くの人は、ここで止まります。
記事を下書きに戻す。編集を繰り返す。
「もっと完璧になったら出そう」と言い聞かせる。
でも、完璧は来ません。
だから、記事は永遠に公開されないのです。
「反応を見ている時」の、あの渦巻き
しかし、勇気を出して公開したとしましょう。
そこからが、実は、もっと大変なのです。
あなたは、何度もSubstackを開いて、数字を確認していないでしょうか?
「何人読んでくれた?」
「何人が購読してくれた?」
「コメントは来た?」
「評価は?」
朝起きて、一番最初に確認する。
昼休みにも確認する。
夜寝る前にも確認する。
その数字が良ければ、あなたは満足感に浸ります。
「ああ、良かった。自分は大丈夫だ」と。
その数字が悪ければ、あなたは落ち込みます。
「ああ、これではダメなんだ」と。
気づいていますか?
もう、あなたは「何かを伝える」という行為をしていません。
代わりに、「自分の価値を数字で確認する」という行為をしているのです。
エゴは上手に、あなたを数字の奴隷にするのです。
「批判やスルーが来た時」の、あの傷
そしてある時、誰も反応しなかったり、コメント欄に批判が来たりします。
その瞬間、何が起こると思いますか?
あなたは、その批判を「自分への否定」だと感じます。
あなたは、そのスルーを「自分には価値がない」と感じます。
「自分の記事は、つまらなかったんだ」
「自分の考えは、誰にも必要とされていないんだ」
「自分は、やっぱりダメなんだ」
もう、記事と、あなた自身の区別がついていません。
エゴが、あなたに言うのです。
「ほら、見たか。お前には才能がない」と。
その傷は、深くあなたに残ります。
だから、あなたは次の記事を書く時、もっと慎重になります。
もっと防衛的になります。
もっと、エゴの声に耳を傾けるようになります。
エゴは、あなたを罠のループにはめるのに成功したのです。
エゴのループから、どう抜け出すのか
でも、ここで一つ、考えてみてください。
あなたが最初に「書きたい」と思ったその瞬間、
その思いに、エゴは入ってなかったんです。
純粋に「これを伝えたい」という衝動があった。それだけなんです。
その衝動は、今も、あなたの中に存在しています。
ただ、エゴという不純物が、かぶさってしまっているだけなんです。
最初の「何かを伝える」に立ち返る
では、どうすればいいのでしょうか。
簡単です。
「記事」と「自分の評判」を分けてください。
あなたが書く記事は、あなたへの評判を得るためではない。
あなたが純粋に伝えたい「何か」です。
その「何か」が、誰かに響くかもしれない。響かないかもしれない。
その「何か」が、誰かを傷つけるかもしれない。喜ばせるかもしれない。
でも、それは、あなたの責任ではありません。
あなたの責任は、「正直に、何かを伝えること」です。
その先のことは、あなたではなく、あなたの外の世界のもの。
わかりますか?
あなたが「いい記事を書こう」と思ったら、あなたは失敗する。
なぜなら、「いい」の基準は、外にあるから。
あなたが「正直に伝えよう」と思ったら、あなたは絶対に失敗しない。
なぜなら、正直さは、あなたの内にあるから。
「書く前」からの再出発
では、記事を書く前に、あなたは何をすればいいでしょう。
深呼吸をする。
そして、自分にこう言うのです。
「私は、いい記事を書こうとしているわけじゃない。伝えたいことがあるから、書くんだ」
「この記事が誰かに響くかどうかは、私の責任じゃない。私ができるのは、正直に書くことだけだ」
「批判が来ても、無視されても、それは記事についての出来事だ。私の価値については何も言われていない」
「私は書く。それだけだ。」
その時点で、あなたの指は軽くなります。
キーボードに触れるのが、怖くなくなります。
なぜなら、もう「評価されること」に囚われていないから。
エゴに捕まっていないから。
「書いている時」の、静かな集中
そして、あなたが書き始めたら、
あなたが「伝えたい相手」を思い出すんです。
友人に説明するように。親に話すように。
あなたが本当に伝えたい、たった一人の人の顔を思い浮かべて。
そうすると、何が起こるでしょうか。
あなたは、「見栄をはる必要」がなくなります。
心を開いた友人に対して、仮面をかぶって話しますか? 違いますよね。
その自然さ、その正直さで、あなたは書く。
その時、あなたの文章は、初めて「あなたの声」になります。
「公開ボタンを押す時」の、静かな決意
公開ボタンの前で、あなたはもう怖れません。
なぜなら、これは、あなたが「伝えたい何か」を、「正直に表現したもの」です。
それ以上でも、それ以下でもない。
だから、あなたは公開ボタンを押せる。迷わずに。
「反応を見ている時」の、違う視点
さぁ、記事が公開されました。
するとあなたは反応を気にします。数字が気になります。
「何人読んでくれただろうか?」
数字を見る代わりに、あなたはこう自分に問うてください。
「誰か、この記事から何かを受け取ってくれただろうか」
反応がなくても、あなたは「失敗」だと思わないでください。
なぜなら、あなたの成功は「反応の数」ではなく、「正直に伝えたかどうか」だから。
あなたは既に、成功しているのです。記事を公開したその瞬間から。
「批判が来た時」の、静かな距離
もし批判が来たとしたら、
あなたは、その批判を「自分への攻撃」だとは思わないでください。
「そのコメントした人が、私の記事に対して、何か感じたんだ」と思ってください。
それは、ただ、「あなたが伝えたいこと」と「その人の価値観」が、ぶつかっただけだということです。
それは悪いことではありません。
むしろ、あなたの記事が、何かを伝えたという証です。
エゴはこう言うのです。「お前は否定された」と。
しかし、あなたはこう答えてください。
「いや、私の記事が、相手に何かを感じさせた。それだけだ」
その距離感を保つとき、あなたは、初めて自由になります。
次の記事へ向けて
そして、あなたは、また次の記事を書きます。
今度は、エゴを持たずに。
「これを伝えたい」という、その一点だけで。
その時、あなたの記事は、もう「自分の評判を得るための道具」ではなくなります。
あなたの「声」になります。
あなたの「思い」になります。
その記事が、誰かの心に届くかもしれない。届かないかもしれない。
でも、あなたはもう、それを気にしない。
あなたができるのは、書くこと。正直に、伝えたいことを書くこと。
その先は、あなたではなく、あなたの外の世界のもの。
最後に
Substackを開く前に、覚えておいてください。
あなたは数字を取るために、書いているんじゃない。
あなたは「伝えたいことがあるから」書いているんです。
エゴという鎧を脱いだとき、あなたの書く言葉は、初めて、本当の力を持ちます。
さあ、書きましょう。
評価を気にせずに。
ただ、伝えたいことを。
あなたらしく、あなたの言葉で。




うぬぬ…ドンと響きました。
書きたい、と思って書き始めたのに、だんだん、どう見られるかを意識し始めて、いい記事書きたい、になっていました。そうなると記事が完成しないんです。投稿するのも怖くなるし。
深呼吸して、新たに書いてみようと思いました。
皆さん、なんか気負いすぎな気がするんですけどね。
自分は「書きたいと思ったこと書いてる」だけなんで、全然筆は止まらないんですけど・・・そんな人は希少なんかな?w