こんにちは、ゆかりっくです。
今日は、スピリチュアルな視点からの読み物をお届けいたします。
SUNOで作った瞑想音楽”Awakening"を聴きながらゆるりとお読みくださいね。
気持ちが晴れる。
気持ちが落ち込む。
私たち人間の感情というものは、なんと揺れ動くものなのでしょうか。
人の感情は、彩り豊かで、時に厄介で、時に愛おしい。
嬉しさも、悲しさも、不安も、怒りも。
心に現れては、やがて消えてゆく。
でも、ふとこんな疑問を持ったことがある人はいないでしょうか?
「その感情は、本当に『私』なのだろうか?」と。
■ 私は、「気持ち」なのだろうか?
気持ちを、例えば、空に浮かぶ雲だと考えてみてください。
喜びも怒りも、不安も、、、それらは現れ、形を変え、そして消えていく。
しかし、雲の形は変わっても、空そのものは変わらない。
もし私が雲(感情)ではなく、それを眺めている空だとしたら。
「私は嬉しい」ではなく、「私は嬉しいと、感じている」。
そう思えた瞬間、少しだけ、息ができる余裕が生まれませんか。
では、すべての気持ちが静まったとき、そこにいる「私」とは、誰なのでしょうか。
人はずっと、その本当の私を探す旅をしているのだと思います。
■ 変わるものは、私ではないのかもしれない
私の身体は変化し続けている。髪が伸び、肌が老いる。
私の心も変わっている。昨日あんなに悩んでいたことが、今日はもう薄れていたり。
昨日の悲しみは、もうどこにもいなかったり。
それなら、変化するものは「私」ではないのではないだろうか。
ヤドカリが貝殻を変えながら旅するように、何か変わらないものがこの身体を借りている。
そういうイメージが、しっくりくるのです。
私が「私」だと思っているこの身体も心も、ただの仮の家。
魂が一時まとっている服のようなもの。やがて脱いで、また新たな服をまとう。
あなたが信じるかどうかは、わかりませんが、
でも、そう考えると、囚われている気持ちが少しだけ、軽くなる気がします。
■ 幸せな人を見ると嫉妬する心
ヨーガの哲学に「マイトリ(Maitrī)」という言葉があります。
友愛、慈しみ、と訳されます。
自分が幸せになりたければ、
「幸せな人と仲良くしなさい」とヨーガスートラのパタンジャリはこう言いました。
しかし、人の心というものは、どうにも厄介で、
幸せそうな人や、成功しているかに見える人を見ると、
「いいな」「なんであの人だけ」「どうして私じゃないんだろう」
そういう気持ちが、どこからともなく湧いてきます。
心とは、比べ、傷つき、うらやむもの。それが心の性質です。
幸せそうな人を見たとき、嫉妬を消そうとすると、余計苦しくなります。
では、どうすればいいのでしょうか?
「あぁ、私は羨ましいと思っているんだ」と、
そっと自分の心と距離を置く。
そして、悪いことをやっている人にはつい干渉したくなるのも人です。
「なんでそんなことするの」「やめた方がいい、 それをしてはいけない」と。
そういうお節介な提言は自分を幸せにするでしょうか?
「幸せな人と一緒に過ごしなさい」
「悪いことをする人とは距離を置きなさい」
最初は難しいかもしれません。
なぜなら、幸せそうな人と自分を比べて、自信を失ったり、嫉妬の心が生まれてきたりするから。
でも、幸せな人と一緒にいると、自分の中にも似たものが少しずつ生まれてくるようになります。
善いことをしている人を見たら、素直に褒めるようになりたい者です。
そして悪いことをしている人、悪い考えの人には、干渉したくなる気持ちをそっとおいて、ただ離れよう。
人を変えようとせずに、自分の心のあり方を少しずつ変えてゆくのです。
■ 心を制御するのは無理
嫉妬を消そうとすると、余計に嫉妬が膨らむ。
不安をなくそうとすると、不安はさらに大きくなる。
心を静めようと頑張れば頑張るほど、心はますます騒ぎだす。
何度も繰り返して、ようやく気がつくんです。
「これは、私の失敗じゃない。心とは、そういうものなのだ」と。
「ああ、また嫉妬している」
「今、不安が来ている」
その気持ちに抗わずに、ただそれを見る。
そのことに気づいたとき、少し楽になってゆくでしょう。
そして、やればやるほど、心を完全にコントロールすることは無理なのだとわかってきます。
でも不思議なことに、その「無理だ」という気づきが、何かを変えるんです。
制御できないとわかったとき、初めて人は、
心を「外から見ている者」になれます。
「外から見ている者」それが、魂の居場所なのかもしれない。
”私”は、この身体ではない。
この心でもない。
この感情でも、ない。
嫉妬が来たとき、怒りが来たとき、不安が来たときに、
「ああ、今、この感情が来ている」と、一歩引いて見る。
そのとき”私”は、気持ちの外側にいる。
あなたはどうでしょう?
”心”に囚われて生きてゆきますか?
それとも”心”を外からみる者となり、”心”から自由になりますか?
私自身もいまだに自分に問いながら、今日も生きています。
※注釈 — パタンジャリとは
紀元前後ごろのインドの賢者。口伝で受け継がれてきたヨーガの教えを196の短い言葉(スートラ=糸)にまとめ、『ヨーガ・スートラ』として記した。ヨーガといえば今ではポーズや呼吸法のイメージが強いが、パタンジャリが伝えたのは心の動きをどう観察し、どう静めるか。つまり「内なるヨーガ」だった。本文で触れたマイトリ(友愛)はその教えの核心のひとつで、心の平静を保つためのもの。



