こんにちは。
しばらくの間、フランス🇫🇷を旅してきました。今回の記事では、フランス🇫🇷旅の大きな目的の一つ、オービュッソンでの出来事をお話しいたします。
フランス中部、人口2,000人ほどの町、オービュッソン
フランス人でも名前を殆ど知らない小さな町です。ここで一人の日本人女性が、何年も織物を織り続けています。
お名前は、許斐愛子さん。
800年続くタピスリー(綴織)の技術を、異国から来て受け継ぎ、自分の工房を構え、地元の職人たちと同じ手順で、同じ糸を、何ヶ月もかけて織る。
誰に見られるでもなく、ただ手を動かし続ける仕事です。
関西万博で実はもう、何万人もが見ていた
けれど彼女の仕事は、すでに日本の何万人もの目に触れていました。
2025年の大阪・関西万博。
フランス館の入口を飾ったのは、『もののけ姫』の一場面「呪いの傷を癒すアシタカ」を織り上げたタピスリー。
縦5メートル、横4.6メートル。
スタジオジブリとオービュッソン国際タピスリーセンターが協力し、2022年に完成させたシリーズの第一作です。
会場を歩いた人は、この織物の前で足を止め、写真を撮り、次のブースへ進んでいったはずです。
それを織った人の名前までは、たぶん誰も知らないのではないでしょうか。
🇯🇵初めて、公式に訪れた日本人グループ
そして今回、私たちは、その名前の主に会いに行きました。
日本の旅行会社が組んだ行程にオービュッソンが公式に組み込まれたのは、今回が初めてです。JTB、近畿日本ツーリスト、日本旅行といった大手でも、これまで商品化が実現できなかったツアーでした。
それを成し遂げたのが、私たちが所属する旅行グループです。
仕掛けたのは、Cité de la tapisserie(タピスリー国際美術館)が2022年から4年がかりで進めてきた誘致活動。
ヌーヴェル・アキテーヌ地域圏観光委員会と、フランス政府観光局(Atout France)の後押しを受けた、国をあげてのプロジェクトでした。
つまり私たち14名は、フランス政府が本気で迎え入れた、最初の日本人グループだったということです。
火曜の夜に到着し、水曜まる一日、綴織の世界に浸りました。
案内してくれたのは、もちろん許斐さん本人です。
🌳織り上がったばかりのトトロ
工房を見学したあと、Cité de la tapisserieで見たのが、7月半ばに織り上がったばかりの最新作「メイとトトロのお昼寝」でした。
31.5平米、シリーズ最大のサイズ。
1,300人を超える寄付によって制作され、許斐さん自身も制作に参加しています。
この作品の前で、ツアーに参加していた一人の女性が、涙を流しました。
理由は、本人にしかわかりません。
でも、遠く離れた国で、誰かが何ヶ月もかけて紡いだものの前に立ったとき、言葉より先に涙が出たのでしょう。
❤️まだ、世に出ていないマル秘の作品
実は工房では、公開前の新作も見せていただきました。
日本人なら誰もが知っている、あの作品です。
それがオービュッソン織になる。
織り上がれば、きっとまた、日本中が沸きます。
まだ公開前なので、作品名は明かせません。
けれど、これから先どこかで、その作品が発表される日が来たら、思い出してほしいのです。
それより先に、この目で見た日本人がいたことを。日本人女性がこの作品に携わっている事を。
💚お名前を、もう一度教えてください
後日、許斐さんからメッセージが届きました。
「涙を流した方の名前を、もう一度教えてほしい。いただいた言葉とともに、みなさんの名前も覚えておきたい。
これから先、何か大変なことがあっても、あの時のことを思い出せば、まだ頑張れる。」
そう書かれていました。
何万人もの前に自分の仕事が並んでも、誰も名前までは覚えていない。
そのなかで、たった一人の涙が、彼女にとっては何よりの記録になったことでしょう。
私たちの訪問には、地元紙ラ・モンターニュの記者も取材に訪れていました。
地元紙は「トトロの前で泣いた女性がいた」という見出しをつけました。
その一文で、記事としては十分だったのだと思います。
けれど、あの日私たちが見ていたのは、涙だけではありません。
同じCitéの工房では、バイユー・タペストリーの欠けている一場面、ウィリアム征服王の戴冠を描いた25平米の織物が、2027年の公開に向けて今も織られています。1066年、ノルマンディー公がイングランド王になった出来事を描いた、フランスの千年の歴史そのものです。
許斐さんが織っているのは、宮崎駿の絵であると同時に、この千年続く技術の、いま生きている一部でもあります。日本のアニメーションと、ノルマンディー公の戴冠が、同じ工房で、同じ時代に、並行して織られている。
何万人に見られても届かなかったものが、名前を交わした瞬間に、初めて温かい重みを持ちました。
私たちは、フランス政府が本気で迎え入れた最初の日本人になりました。それは記録に残る出来事です。
けれど私の記憶に残ったのは、記録ではなく、一人の織師が「名前を覚えておきたい」と書いてくれた、その一文でした。
許斐愛子さんの工房は、Instagramでも見ることができます。







